国語教師日記

【日記02】内定から1か月が経った。

内定をもらってから1か月が経った。1か月。速かった。1年はこれを12回繰り返したら終わってしまうのだ。いつものことながら、時間の流れる速さに驚いてしまう。

何より自分が時間の流れを速いと感じるのは、「無為に1日を過ごしているから」だ。今までは体調が悪いこともあって、自分の惰性に「体調不良」の言い訳をすることを認めてきたが、内定が出て、特にこの1、2週間は体調も良い。もう言い訳は許されない。

「宣言」と題して記事を書いた。

kokugokyoshi.hatenablog.com

総括

結論から言えば、殆ど実行できていない。薄々気づいていたのだが、やりたいことが多すぎてそれだけでキャパオーバーになっている様子。というわけで、どうしてもやらなきゃいけないことをピックアップしてTo doリストを作るようにしているのだが、それでも殆ど実行できない。

それはなぜかと言われると、自分に勉強するという習慣が無いからだと言える。というか、僕の人生でそんな習慣があったことなど無かった。高校入試も、大学入試も、「そこそこ勉強すれば入れる程度」の学校しか選んでこなかった。真剣に勉強することから逃げて来たのだ。その僕が今や集団塾で「ちゃんと勉強しましょう」と宣っている空々しさには、毎度のことながら辟易する。

勉強しないと実力が足りない。そのことはよく分かっている。しかし進歩もあった。読書ができるようになったのだ。

コロナの間、コロナのせいかは分からないが、読書もできない日々が続いていた。本が読めない。次の行に進めない。文字を読んでも意味が理解できない。そういう状況から回復しつつある。

毎日コンスタントに本が読める以前の生活に戻ったように感じられるし、意識が高くなった分、本をより深く理解できているような気もする。もちろん、前はチャレンジして、それでも分からないような哲学の本などにもチャレンジしていて、そういうチャレンジが無くなったということもあるのだが、それでも本を読んで内容が分かるという喜びには格別のものがある。

本の買い方

具体的に言えば、本の買い方を変えた。

これまでは毎月、ジャンルごとに本を選んで、クレジットカードの支払日が変わる、毎月1日にAmazonで10冊とか本を買っていたのだが、Amazonのまとめ買いセールが無くなったこともあって、そのうま味が無くなった。それと、電車で1駅隣の本屋に出かけるのも、たまの気晴らしには良い。ついでにカフェに寄って勉強することもある。

だから、今までは本を読み切れなくても次の月には新しい本を買っていて、在庫過多というような状況になっていたのだが、別の方法に変えた。「配置薬型読書計画」と決めた。本のジャンルごとに、次に買う本を決めておいて、そのジャンルの本を読み終えたら、次の本を買いに行くシステム。これだと積読は大分減るはずだ。しばらくこれで様子を見たいと思う。

本が読めるようになったものの、勉強ができるという状況には程遠い。今は夏期講習もあって、週5日は勤務があり、残りの2日はぐったりなのと、睡眠時間が12時間を超えるのが普通、みたいな体質になってしまったので、勉強時間を確保できない。勉強しようという気になるまでにも相当時間がかかる。

大学が空いていれば、無理にでも「大学に行く」ということにして、図書館で勉強できたのかもしれないが、自宅だとその気力が湧かない。次の1か月までの間にはたくさん勉強したい。

得意分野

坂井良晶『さる先生の「全部やろうはバカやろう」』に、「得意分野を作れ」みたいなことが書いてあった。それもそうだなと思い、僕はさしあたり現代文に注力しようと決めた。現代文だけは胸張って授業できるようにしたいものだ。それと、「テクスト論」と「精神分析」に的を絞って勉強しようと思う。「フェミニズム批評」とか、他にも気になるところはあるのだが、「あれも、これも」では結局何もできなくなるような気がする。まずはそこからスタートだ。

というのも、大学の演習の授業で、与えられた作品の分析を繰り返していると、自分に詳しい分野があればどんなに楽だろうと思ってきた。毎度、新しい論点を考え出して、その切り口で作品を見るための参考文献を漁るのは、確かに実力はつくが、「薄く広く」という感じで、結局何にも詳しくなっていないような気がする。自分はこれについてなら語れるというような得意分野が欲しい。

これからのこと

これからのことだが、前から思っていた通り、就職して仕事が安定してきたら、修士号と教育学の学士号を取りたい。文学が専門だけれど、学士号で終わるのはなんだか悔しいし、教師として働きながら教育学部卒の人に「お前は教育のプロではないくせに」と思われるのも嫌だ(そんな風には思わないのかもしれないが)。

それに加えて、毎年テーマを決めて、何か研究しようと思っている。専門のこととは他に、毎年の課題研究。それをライフワークにして毎年繰り返せば、それなりに実力もつくんじゃないだろうか。かといって先行論が多い作家の文学作品を研究するのは仕事をしながらでは無理な気もするので、未開拓の作品について考えてみようと思う。それを最終的にKDPみたいな電子書籍の形でも発表できれば楽しい。誰も読まないだろうが、後世にまで何かを残したい。

夏期講習のこと

アルバイトの集団塾も、夏期講習が折り返しを過ぎた。

体力的にはキツい。でも明らかに成長した点が2つある。1つ目は、滑舌が良くなった。国語の授業をたらふく持たされているので、本文を音読する機会も多いのだ。2つ目に、語りが上手くなった。多分、だが。このまま夏期講習を終えれば、何かが掴めるような気がする。僕の中で理想としたい語りに少し近づいた感じがする。

僕が理想とする語りというのは、ちょっと癖があって真似したくなり耳を惹きつけられるというものだ。ニュートラルで真水のような語りは、確かに良い面もあると思うが、生徒のなかに「引っかかり」のようなものを残さないのではないか。癖があり、生徒のなかに「引っかかり」を残すような語り口を心掛けたい。

それと、授業をたくさんこなすなかで、教材を見る目が養われてきたと感じる。それまでは無かったことだが、問題集の解答を見て「ちょっと不正確だな」とか「これはいい問題だな」とか分かることが増えてきた。もちろん、見当違いの感覚な可能性もあるのだが、国語教師として一段目を登れたような気もする。本当はいろんな問題集も解いてみて、それを確固たるものにしたいのだが。

再び決意

ここから先の1か月間は、「勉強した」と思えるような1か月にしよう。読書はもちろん、問題集や、古典文法にもきちんと手を伸ばして、「実力がついた」と言える1か月にしたい。「あれも、これも」ではなく、とりあえず「あれを」と取捨選択しながら、自分の中に「武器」を育てていきたい。