国語教師日記

【記録】作問勉強会

未来の自分へ

8月29日に根岸大輔先生の作問勉強会に参加しました。明日は朝早いというのに、そして今日は4時起きだというのに、脳内麻薬が僕を寝かそうとしません。夏期講習、週4日8コマの中3国語の授業を持ち、少し授業が上手くなったと思い始めていた僕は、いかに低レベルな次元で成長を感じていたのか気づかされました。

穴埋め・記述問題が「パズル」になってしまうこと

僕は「まだ僕は現場教員じゃないから」と自分に言い訳をつけて、安易に記述問題を出してしまいました。それも文字制限なしで。一応設定は中3の受験期に入る前に最低限の読解力があるかを授業内で確かめるようなものにしていました。ちょうど夏期講習の中3国語、今やっている授業の中にひょいと投げ込んだときに、「できる子は普通にできる」、かつ「できない子は致命的にできない」ような問題を作ろうと思いました。いわゆる診断的評価としてこれを使おうとしたわけです。

その中で僕は穴埋めを出しました。前半に出てきたキーワードが中盤にもう一度出てきたので、ここぞとばかりに中盤の方を空欄にし、「漢字2字」という制限をつけました。僕の中では、この「漢字2字」というのを鍵に前半を読み直して、そこに答えを見つけてくれれば、と思っていました。

今日の議論の中では、そうした発想をパズルとか、文字数合わせとか呼ばれて、あまり好意的には評価されていませんでした。これは小1、2の教科書会社が作るテストに典型的に見られるようでしたが、何より自分はそれに違和感を抱いていませんでした。未だに書き抜き問題で7字と言われたらとりあえず7字でまとまりのいいところを探してしまいます。しかし果たしてそれが「読解」と言えるのか。

それを打開する方法として「1語」とするような方法が出てきました。

一方で、記述問題の答えのような文章の一部分をくり抜く虫食いタイプの問題。こちらは中学受験などでは読解の補助線として使われることがあるそうです。なるほど僕にはそういう発想が欠けていました。問題を解くことで文章が理解できる。例えば散々解いてきたセンター試験の過去問や、自分の大学の現代文だってそういう側面はあったように(今となっては)感じられます。こういう発想が、数学にあるのは分かります。⑴が解ければそれが⑵の誘導になる、というタイプです。しかしこれを国語にも導入できれば。講義形式の授業だけでなく、問題を解く中で読みを深められるなら、それほどいい機会はありません。

一般にそうした問題は同一文脈から言葉を書き抜くことが多いようですが、前述の小1、2の教科書会社のテストではてんでばらばらのところから切って持ってくるというタイプが多いらしいです。具体的には忘れましたが、確かに小学生の国語を担当したときに、同様の虫食いの問題で「やけに答えが取っ散らかってるな」と感想を抱いた記憶がありました。(ちなみに学習院大学にもその傾向があるらしいです)

この手の問題の長所としては、「採点基準がぶれない」ということがあるようです。現場で働くうえでは重要な観点です。普通に記述させるよりも、書き抜くことで丸つけしやすくする。一方虫食いの部分を長くし、自由記述にすると採点基準にぶれがあり、書き抜きのままにすると、その意味が問われるらしく、扱いが難しい出題形式でもあります。

また、字数指定について伺いました。自分自身が中学時代に「8割書かなきゃ減点される」と塾で教えられたのを、後生大事に自分の教え子にも伝えているわけですが、現場の教員の方々も「8、9割を期待したい」という話でした。

その中で「換言がスマートな生徒が文字数を満たさないこともある」というお話がありました。これは高校受験指導ではほとんど感じたことのない問題点でした。記述問題の答えは要素+接続でできているというお話だったのですが、この要素を別の表現に置き換えてしまうことで、ググっと短くまとまってしまうパターンです。こちらは減点しない例もあるようです。

高校受験指導の場合、書く問題は「本文中の言葉を使って」と留保が付くことが多く、換言は期待されていません。夏期講習で中3がとり組んでいる問題集には、換言が求められる問題もあるのですが、何より僕の県では選択問題がほとんどのため、「これは解けなくていい」と伝えてしまいます。

その中で字数指定の量で難易度を調整しているという話は印象的でした。易しくしたければ想定した答えの2割増し。難しくしたければそのままか1割減(減の場合は解答も相当練る)。実際、中学受験などの方が、むしろ字数指定が増えるそうです(抽象化できず具体的に書くためだそうです)。ただ、減ずる=換言を期待する大学は東大や京大で、神戸大や大阪大は多少分量が多くてもしっかり書くことを期待しているとのことでした。

ちなみにこの点の黒歴史も思い出しておくと、僕は一六〇字とかの記述をきっかり1文で書かなきゃならないという謎の固定観念に突き動かされて、もはや主節の位置が判然としない、やけに長ったらしい文章を書くようになってしまいました。というかこれは人前で喋る時も同じ傾向があるので、よろしくありません。直しましょう。

選択問題について

選択問題は解くのも苦手だし、作るのも苦手です。何より誤答を作るのが難しい。自分で文章問題から作問した経験は2度ほどしかないものの、中3の受験向け特訓の文法教材を作っているときでさえ苦労したので、いわんや文章問題をや。

ここでも注意したいのは、やはり選択肢には要素+接続があるわけですが、「要素」だけに着目した間違い探しにならないようにとのことでした。そういえば自分の解説は間違い探しが多いように思います。

その中で本文と矛盾しないが問いに答えられていない選択肢や不適切な因果関係で結ばれた選択肢を誤答として混ぜるなど、そうした「要素の条件反射してしまう」生徒が引っかかるようにするという話は、確かに必要だと思いました。

春期講習で出会った小学生が、ちょっと想像を絶するぐらい国語ができず、選択問題も1問も当たらないみたいなレベルだったわけですが、あれは要素レベルで選択肢を判断していたからじゃないか。サイゼリヤの間違い探しみたいなゲームになっていたんじゃないか。今更ながらそのことに気が付きました。

また、誤答の作り方として①述語を捻る、②一部が間違えているというパターンは王道としてあるようです。その上で、③主語と目的語を逆転させたりするという話もありました。このパターンはあまり見かけないですが、あれば引っかかるだろうなというのは、生徒を見てて思います。また心がけとして、「もし記述で出たら出そうな生徒の誤答を混ぜる」「選択肢からだけでは解けないものを」というのは大変参考になりました。それ自体がトレーニングになりそうです。

ちなみに新共通テストの日本史の選択問題には、史実としては全て正しいが問いに答えているものが1つしかないというのがあるそうです。なるほど史料を適切に読み解く能力が測れるのかもしれませんが、テクストを扱うという立場では国語もそういう流れになっていくのかもしれません。(それにこの県の高校入試が同調するなんてことはやめてほしい、これ以上難しくなる必要はない)

複数テクストの文章

国語科教育論のテスト作成の課題で、複数テクストの問題を出しましたが、あれは題材文と、自分が数日前に読み終えていた河合隼雄が、およそ奇跡的な合致を見せたために為せた技で、現実的には先行研究を漁ったり、教科書や問題集に目を通すなど、日ごろからの地道な努力が必要とされるように思いました。その上で取り上げるテクストの恣意性は仕方ないところでしょう。さしあたり本を読み続けよう。

ちなみに最近の自分の中でのスローガンは、「読書は資本」です。およそ小林多喜二を研究対象に据えた大学生の発言とは思えない軽率な発言ですが、僕は共産主義者ではない(現時点では)。

国語科教育論の時は「合致する」、つまり類似性を生かした作問をしたわけですが、反対に差異に着目した作問の可能性も示されました。これはなるほど、と思いました。

僕はいつか生徒に『朝日新聞』と『産経新聞』の社説を読み比べるみたいな経験をしてほしいと願ってやまない人間ですが、対象テクストを批判的に見ることができる、言い方を変えると、メタ的な見地から相対化できる態度というのは、やはり涵養したいものだと思いました。「教科書信仰」というお話も出たのですが、そう言えば僕はここ数週間、塾の教材のテキストの題材文をけなしまくっているので(それ自体ある種の芸として)、かえって生徒には「反-テクスト信仰」みたいなものが芽生えているかもしれません。それはそれでよろしくない。

また複数テクストの中で「何の話をしていないか」を見極めさせるという出題が注目を集めました。なるほど重要です。言い換えると「クソリプしない技術」といった具合でしょうか。

ただし「今していない話をあえてふっかける」という議論の仕方が国文学の中にあることは否定し難い面もあるかなと思います。いえ、「国文学」とは大風呂敷を広げましたが、正しくは「僕の中にある」です。演習の授業があると、人の発表の些末な表現について質問して、論旨については無関心みたいなことがよくあります。

そういう姿を踏まえて、生徒に「何の話をしていないかを見極めろ」と言うのは無責任だと思い、自分のスタンスを見つめ直そうと思いました(もはや国語教育以前の問題です)。

総括

少し自分が調子に乗っていたなと感じました。そういう鼻っ柱をぴしゃりと折られた気分ですが、不思議と嫌な気はしません。卒論のことも心配ですが、まだ僕には準備時間が半年以上もある。この期間を使ってできることを1つずつしていきたいと思いました。

【日記02】内定から1か月が経った。

内定をもらってから1か月が経った。1か月。速かった。1年はこれを12回繰り返したら終わってしまうのだ。いつものことながら、時間の流れる速さに驚いてしまう。

何より自分が時間の流れを速いと感じるのは、「無為に1日を過ごしているから」だ。今までは体調が悪いこともあって、自分の惰性に「体調不良」の言い訳をすることを認めてきたが、内定が出て、特にこの1、2週間は体調も良い。もう言い訳は許されない。

「宣言」と題して記事を書いた。

kokugokyoshi.hatenablog.com

総括

結論から言えば、殆ど実行できていない。薄々気づいていたのだが、やりたいことが多すぎてそれだけでキャパオーバーになっている様子。というわけで、どうしてもやらなきゃいけないことをピックアップしてTo doリストを作るようにしているのだが、それでも殆ど実行できない。

それはなぜかと言われると、自分に勉強するという習慣が無いからだと言える。というか、僕の人生でそんな習慣があったことなど無かった。高校入試も、大学入試も、「そこそこ勉強すれば入れる程度」の学校しか選んでこなかった。真剣に勉強することから逃げて来たのだ。その僕が今や集団塾で「ちゃんと勉強しましょう」と宣っている空々しさには、毎度のことながら辟易する。

勉強しないと実力が足りない。そのことはよく分かっている。しかし進歩もあった。読書ができるようになったのだ。

コロナの間、コロナのせいかは分からないが、読書もできない日々が続いていた。本が読めない。次の行に進めない。文字を読んでも意味が理解できない。そういう状況から回復しつつある。

毎日コンスタントに本が読める以前の生活に戻ったように感じられるし、意識が高くなった分、本をより深く理解できているような気もする。もちろん、前はチャレンジして、それでも分からないような哲学の本などにもチャレンジしていて、そういうチャレンジが無くなったということもあるのだが、それでも本を読んで内容が分かるという喜びには格別のものがある。

本の買い方

具体的に言えば、本の買い方を変えた。

これまでは毎月、ジャンルごとに本を選んで、クレジットカードの支払日が変わる、毎月1日にAmazonで10冊とか本を買っていたのだが、Amazonのまとめ買いセールが無くなったこともあって、そのうま味が無くなった。それと、電車で1駅隣の本屋に出かけるのも、たまの気晴らしには良い。ついでにカフェに寄って勉強することもある。

だから、今までは本を読み切れなくても次の月には新しい本を買っていて、在庫過多というような状況になっていたのだが、別の方法に変えた。「配置薬型読書計画」と決めた。本のジャンルごとに、次に買う本を決めておいて、そのジャンルの本を読み終えたら、次の本を買いに行くシステム。これだと積読は大分減るはずだ。しばらくこれで様子を見たいと思う。

本が読めるようになったものの、勉強ができるという状況には程遠い。今は夏期講習もあって、週5日は勤務があり、残りの2日はぐったりなのと、睡眠時間が12時間を超えるのが普通、みたいな体質になってしまったので、勉強時間を確保できない。勉強しようという気になるまでにも相当時間がかかる。

大学が空いていれば、無理にでも「大学に行く」ということにして、図書館で勉強できたのかもしれないが、自宅だとその気力が湧かない。次の1か月までの間にはたくさん勉強したい。

得意分野

坂井良晶『さる先生の「全部やろうはバカやろう」』に、「得意分野を作れ」みたいなことが書いてあった。それもそうだなと思い、僕はさしあたり現代文に注力しようと決めた。現代文だけは胸張って授業できるようにしたいものだ。それと、「テクスト論」と「精神分析」に的を絞って勉強しようと思う。「フェミニズム批評」とか、他にも気になるところはあるのだが、「あれも、これも」では結局何もできなくなるような気がする。まずはそこからスタートだ。

というのも、大学の演習の授業で、与えられた作品の分析を繰り返していると、自分に詳しい分野があればどんなに楽だろうと思ってきた。毎度、新しい論点を考え出して、その切り口で作品を見るための参考文献を漁るのは、確かに実力はつくが、「薄く広く」という感じで、結局何にも詳しくなっていないような気がする。自分はこれについてなら語れるというような得意分野が欲しい。

これからのこと

これからのことだが、前から思っていた通り、就職して仕事が安定してきたら、修士号と教育学の学士号を取りたい。文学が専門だけれど、学士号で終わるのはなんだか悔しいし、教師として働きながら教育学部卒の人に「お前は教育のプロではないくせに」と思われるのも嫌だ(そんな風には思わないのかもしれないが)。

それに加えて、毎年テーマを決めて、何か研究しようと思っている。専門のこととは他に、毎年の課題研究。それをライフワークにして毎年繰り返せば、それなりに実力もつくんじゃないだろうか。かといって先行論が多い作家の文学作品を研究するのは仕事をしながらでは無理な気もするので、未開拓の作品について考えてみようと思う。それを最終的にKDPみたいな電子書籍の形でも発表できれば楽しい。誰も読まないだろうが、後世にまで何かを残したい。

夏期講習のこと

アルバイトの集団塾も、夏期講習が折り返しを過ぎた。

体力的にはキツい。でも明らかに成長した点が2つある。1つ目は、滑舌が良くなった。国語の授業をたらふく持たされているので、本文を音読する機会も多いのだ。2つ目に、語りが上手くなった。多分、だが。このまま夏期講習を終えれば、何かが掴めるような気がする。僕の中で理想としたい語りに少し近づいた感じがする。

僕が理想とする語りというのは、ちょっと癖があって真似したくなり耳を惹きつけられるというものだ。ニュートラルで真水のような語りは、確かに良い面もあると思うが、生徒のなかに「引っかかり」のようなものを残さないのではないか。癖があり、生徒のなかに「引っかかり」を残すような語り口を心掛けたい。

それと、授業をたくさんこなすなかで、教材を見る目が養われてきたと感じる。それまでは無かったことだが、問題集の解答を見て「ちょっと不正確だな」とか「これはいい問題だな」とか分かることが増えてきた。もちろん、見当違いの感覚な可能性もあるのだが、国語教師として一段目を登れたような気もする。本当はいろんな問題集も解いてみて、それを確固たるものにしたいのだが。

再び決意

ここから先の1か月間は、「勉強した」と思えるような1か月にしよう。読書はもちろん、問題集や、古典文法にもきちんと手を伸ばして、「実力がついた」と言える1か月にしたい。「あれも、これも」ではなく、とりあえず「あれを」と取捨選択しながら、自分の中に「武器」を育てていきたい。

【宣言】一流の国語教師になるための計画

目的

内定も出て、いよいよ来年の4月からは国語教師。でも、僕の知識は圧倒的に足りていない。そこで、来年の4月までの間に、一流の国語教師と胸を張れるくらいの知識を身につけたい。

もちろんそんなの無理だと分かっている。でも、就職してからは忙しくなるだろうし、今更勉強もできないだろう。そこで、今のうちにできる全力を尽くす。

A:教師として

A-1:教育学

教師として恥ずかしくない程度に、教育学についての知識を得る。

A-2:働き方

教師の仕事術について書かれたような本を読む。これはモチベーションを上げる目的。

B:国語教師として

B-1:理論

B-1.1:背景知識

文学史・文学理論などの基礎知識を身につける。

B-1.2:国語教育

国語教育の背後にある理論をきちんと押さえる。

B-2:実践

様々な授業の実践に目配せする。そのなかで授業の「型」を理解する。

B-3:過去問演習

進学指導ができるように、主要大学の過去問を解く。

C:知識

C-1:現代文(評論)

C-1.1:多読

評論で出題されることが多い筆者の本を読む。

C-1.2:問題演習

問題集で演習する。

C-2:現代文(小説)

C-2.1:名作

便覧に掲載されるような名作を読む。

C-2.2:同時代の作家

高校入試に出題されるような同時代の作家を読む。

C-3:古文

C-3.1:『源氏物語

源氏物語』を通読する。

C-3.2:品詞分解

様々な文学作品の品詞分解をしていく。

C-3.3:問題演習

問題集で演習する。

C-3.4:文法

文法の概説書などに目を通す。

C-4:漢文

C-4.1:読解

十八史略』などをきちんと読解していく。

C-4.2:問題演習

問題集で演習する。

C-4.3:文法

文法の概説書などに目を通す。

 

【日記01】私立学校で内定をもらった

自己紹介

これから私立学校の教員を目指す人向けに、何より自分向けに、就職活動で何をしたかを記録していきたい。

僕は、今大学4年生。大学はとある国立大学で、全国区というほどの知名度は無いが、そこそこレベルが高い大学として認知されていると思う。どうしてそんな自慢みたいなことを言うのかというと、これが後々重要になってくるから。

私立の教員になる方法

私立の教員になるための方法はそんなに多くない。要するに、結局各学校が選考するのだが、そこに至るためのルートがいくつかある程度。

1つ目は、日本私学教育研究所のホームページにある求人情報を見ること。ただこちらは最近見にくくなったので、あまり使いたくない。

2つ目は、求人情報が掲載されているサイトに登録すること。僕は教員採用.jpというサイトに登録していた。ここには2種類の求人が掲載されていて、①単に求人情報を掲載しているだけのもの、②運営会社が仲介してくれるものの2種類がある。

①の方は、このサイトからエントリーできたりする場合もあるので、登録はしておいた方がいい。②については、ネット上には「自校では求人を集められないから仲介業者に頼る」という説もあって、結構地雷なのかもしれない。

3つ目は、各学校のホームページを見る方法。これは自分の就職したい学校に心当たりがあるときに頻繁にチェックしておくと良い。1つ目と2つ目の場合だって、いずれにせよ各学校のHPにある求人情報に飛ばされることは多いのだけど、どのサイトにも求人情報を載せていない学校が稀にある。

よく言われることだが、私立の求人は4月頃からぼちぼち出始める。基本的に私立は経験者を望む傾向にあり、この頃の求人はそういう転職者を対象にした「専任教諭」の求人であることも多い。もちろん、私立学校も見ず知らずの人間を急に終身雇用するのは危険なので、1年か2年限りの「常勤講師」だけの求人の場合もあるし、「専任教諭・常勤講師」の求人の場合もある。

新卒であっても、私立学校で働くことを考えているなら、この時期から動かないとまずい。一応大抵の学校は「教員免許取得見込み者を含む」と書いてくれているので、よほど自分の学校に自信がある、大学附属の有名校なんかじゃない限り、新卒が新卒であるという理由で、応募もできないことはまず無い。

ちなみに、大学附属の有名校などはたまに求人の条件に「修士以上」と書かれていたりして、そうなら学部卒は諦めるしかない。まあ、その手の有名校は、仮に学部卒以上に資格が与えられていたとしても、どうせ書類選考で新卒を落とすので、そもそも応募しないという手もある。

一般的には、夏頃をピークに「専任教諭」の求人は減るらしい。そのあと、「常勤講師」の求人が秋頃に増える。ここで狙っているのは、公立の採用試験に落ちた人たち。だから、新卒が夏までに採用が出なくても、多分落ち込む必要は無い。

秋頃から冬先にかけて「常勤講師」の求人が出きったあとは「非常勤講師」の求人が増える。このあたりは、なんとなく次年度の配置を組み始めたときの空きを埋める意味合いがあるんだと思う。

基本的に新卒が専任教諭で採用されるのはかなり稀だと思うし、常勤講師でさえ内定が出れば御の字。最悪の場合、非常勤講師でなんとか食いつなぐという未来を考えておいたほうがいいと思う。

僕の場合は、公立かどこかで非常勤やりながら大学院に進学するルートも模索していた。

1校目

1校目に受けたのは、そこそこ有名な大学の附属校。

ここで重要になってくるのが、最初の自己紹介にあった僕の学歴で、そこそこの学歴ならまず書類選考で落とされることはない。というか、基本的に大抵の私学は履歴書だけで書類選考をする。履歴書にどんなに「貴校への思い」を書いても、そこを見られている気はしなかった。だから見られているとしたら、学歴。特にレベルの高い学校であればあるほど、大学のネームバリューで判断されるところも多い。

というのはあくまで僕の体感なので、本当は書類選考ではほとんど落としてないのかもしれない。と思うくらい、僕は書類選考では落ちなかった。

この学校は、結構エントリーが面倒くさくて、自己PRとか色々書かされた。

書類選考を通過したら二次選考。コロナの影響でWEBでの能力検査だった。よくある性格診断みたいなやつと、小学算数みたいな頭を柔らかくしなきゃ解けないタイプの問題のやつ。学力が測られているというわけではない……というか、基本的に私立は結構教員の学力には無頓着な気がする。

で、二次選考の結果が出る前に、三次選考がある。三次選考は模擬授業と面接。私立はこのパターンが多い。

模擬授業は、まあ集団塾の塾講師をやっていたこともあり、新卒にしては上手い方だと思うのだが、でも初めての就職活動での模擬授業で、目の前にはいかにも偉いって感じの大人が3人。事前に、ある文章について自分で問題を作り、それを解説しなさいというタイプの課題だった。準備時間は60分。これは結構長めな方。

とは言いつつ、新卒は当然テスト作成経験なんてほとんど無いので、どこを問題にしていいか分からない。だから僕は、本文中の具体例が本文全体において果たす役割は何か、と問う問題にした。一応目的は「本文をメタ的に分析できるようになる」というふうに設定した。……けどまあ、現場でそんな記述問題出したら採点が大変だろうな。

緊張していたこともあり、事前に用意した内容の半分くらいしか話せなかった。ということもあり、模擬授業後の面接では、国語教諭の方からツッコミが入った。しどろもどろになりながら答えたけど、答えながら「こりゃダメだ」と思っていた。

他にも、「なぜ私たちの学校を志望したのですか」とか「どんな教師になりたいですか」みたいな質問をされた。私立は面接で訊かれる質問のパターンがそれほど多くないので、試しでテキトーな私立学校を受けて、そこの面接で練習するという手もある。

なんとか面接を終えたときには、「これは落ちたな」という感覚が確信になっており、もう二度と来ないであろう校舎に別れを告げた。

2校目

2校目の学校は、教員採用.jpの仲介業者を介した求人。名前を聞いたことは無かったけれど、近所の私立学校で、ここは交通費が出た。基本的に私立の就職活動は交通費がネックになる中、ありがたかった。(近所だから、数百円だったのだけれど)

仲介業者を介した就職活動が圧倒的に楽なのは、担当者の人がその学校の情報を教えてくれること。それも、担当者の人が実際に訪れたときの肌感覚や、教職員の人と話すなかで得た情報を教えてくれるので、安心して臨める。

「実際のところ、向こうがどういう人を欲しがっているのか」が分かるので、面接でもアピールしやすい。

ここは、筆記試験・模擬授業・面接の3本立てだった。まあ、そのことは事前に聞いていたし、過去の受験者の情報を仲介業者の担当者の人から教えてもらっていて、「色々詰め込まれるので忙しい」と聞いていたし、想定内。

筆記試験はあまり難しくなかった。というか、基本的に私立の筆記試験はさほど難しくない。ということもあり、時間を20分ほど余して終わった。余った時間、見直ししていれば良かったんだけれど、ついウトウト……というか寝てしまった。

基本的に僕は、多くの大学生と同じように夜型の人間になってしまっていたし、なおかつコロナのせいで大学も無いので、夜型に拍車がかかり、就活の入る日は無理な早起きをすることが多かった。結果、僕の就職活動を振り返ると「眠たかった」が1位。

というわけで、就活で全力を発揮したいなら、生活リズムを朝型にする必要があると思う。

そのあとの模擬授業は、個人的に上手くいったと思うんだけれど、教務の方にはハマらなかったっぽい。というのも、模擬授業の後に、「この教材を通してどんな教訓を授けたいですか?」みたいな質問をされた。僕は国語の教材から教訓を読み取るのが好きではないので、「もし採用されたら意見が衝突しそうだな」と思った。

そのあとの面接は、事前に回答したアンケートに沿って行われた。アンケートに書いた回答を突っ込まれるんだけれど、そのアンケートがかなり不親切……というか、微妙に答えにくいので、そこを突っ込まれても……という感じ。

1校目は緊張しきりだったけど、2校目は「ニコニコしていよう」とか、「あいさつを大きな声でしよう」とか意識できたので、いい練習にはなった。

結果は残念。というのも、「応募が多かった中で、本校の重視する教育について経験豊かな人を選んだ」とのこと。じゃあ新卒は書類選考で落としてくれ、と思わないではない。

3校目

3校目の学校は、ちょっと遠く。ただ交通費が上限2000円で出た。ラッキー。

ここは、書類選考のあと、能力検査と模擬授業・面接を別日でやる学校だった。そういう学校は珍しいかもしれない。

能力検査のためにわざわざ遠くまで出かけたのだけれどハプニング。住んでいるところでは曇りで、雨が降る予報も無かったので傘を持って行かなかったのだけど、向こうは雨が降った。ビショビショになって学校に着いた。

それと、学校が少し分かりにくいところにあり、そこへ行く途中で、他の受験者と会った。というか、「この道で合ってますかね?」と話しかけられた。そんなの初めてだったので、ちょっとたじろいだ。

その方は女性で、器量も良さそうな雰囲気の方だったのだけれど、「私ここに来るの2回目で」と仰っていた。やっぱり私立教員はなかなか激戦なんだなあと思いつつ、学校に到着。

事務の方が応対してくれたが、いい感じの人たちだった。「来てくれてありがとう」オーラが全開で、気分も良かった。なおかつ、試験の内容もめちゃくちゃ簡単で、中学生レベル。「これは受かったな」と思っていた。ただ、試験時間中に濡れたマスクがほつれてきて、ほつれた綿みたいのを処理していたら、マスクの紐が取れてしまって、焦った。「マスクのせいで落ちるかも」と思った。よく考えると、そんなはずない。

実際、ここの能力検査は通過した。候補者6人いたんだけれど、6人から絞れたんだろうか。あんな簡単な問題だと、6人全員満点近いんじゃないか、という感じ。

4校目

4校目が本命。実家のある県にある進学校。ここは例年、日本私学教育研究所に求人を出していたのでそれを待っていたのだが、なんと今年は掲載されなかった。

どうしてそこに応募できたかというと、「今年は求人ないのかな」と思ってHPを見てみたら、求人が載っていたので。しかしエントリーシートの締切が翌日。急いで書いて出した。こういうときにテキトーな作文が得意だと便利。

無事書類選考は通過。2次選考の能力検査と3次選考の模擬授業・面接が同日開催なのだが、朝の8:45集合。待ってくれよ、起きられるわけない。

電車の都合で、8:30くらいに着きそうになったので、それは早すぎて迷惑かなと思い、5分前に到着したら、すでに他の受験者は全員揃っていた。女性が5人ほど、男性が僕を含めて3人。

「激戦だな」と思ったんだけれど、そのうち女性5人は教師志望ではなかった上に、男性3人のうち少なくとも1人は国語ではなかった。翌日にも選考があったみたいなので、実質倍率は分からないんだけれど、書類でかなり落としたか、そもそも応募が少なかったか。(個人的には後者だと思う)

能力検査は、どこかの会社が開発したみたいな、恒例の性格診断のやつと、基本的な学力を測る検査。ちなみにこの手の性格診断は、「みんなで一緒に死ぬほど働くことが好きな人」になりきることである程度乗り切れると思っている。

そのあと、模擬授業の準備。多分、模試か何かの過去問だった。古文だったんだけれど、これがさっぱり分からない。苦手な平安文学だったということもある。現代文が出る可能性に賭けていたので、絶望。

それと、この段階で靴下のかかとに穴が開いていることが判明。「靴下の穴で落とされたらたまったもんじゃない」と焦る。

模擬授業は、もうここまで来れば慣れたもの。それと、本文の解説はどうせ出来ないので、古文常識でお茶を濁した。ただ、「自分が何も理解していない」ことは自分が一番よく分かっているので、「落ちたかも」と思い始めていた。

模擬授業が終わった段階で、国語科の試験官の方の講評。「新卒だとは思えないくらいでした」的なお褒めの言葉を貰う。他の管理職の方からも「慣れてる感じがしましたね」と言われる。そりゃバイトで1000コマやってりゃ、慣れますとも。

そのあとの面接の様子がおかしかった。

普通、「どうして我が校を志望されたんですか」とか訊かれるんだけれど、それが無かった。というか、採用前提の質問。例えば、「内定出したら公立蹴ってでも来てくれますか」とか、「車が必要な場合がありますが大丈夫ですか」とかばっかり。

(もしかして採る前提で呼ばれたんじゃないか)とこのあたりで思い始める。

結論から言うと、その感想は当たっていた。というわけで、ここから内定が出た。

勝因

というわけなので、4校目で専任教諭の内定が出た。これは結構早い方だと思う。新卒にしては。

もちろん、新卒を専任教諭で採用するというのは、それほど人手に困っている=人が頻繁に辞めているという可能性もあるんだけれど、まあその辺の過酷さは覚悟している。

で、どうして僕に内定が出たのかと言われれば、理由は2つあると思う。

1つ目は、学歴。進学校で、進学実績が発展途上ということもあって、難関大出身者が欲しかったんじゃないだろうか。数十年前まで、専門科だけの教育困難校だったらしいので、新卒で進学指導に強そうな人を採りたい意図は分かる。それに、僕もそれを承知していて、面接でも「現代文と漢文なら国公立大二次試験程度まで指導できます」とアピールした。(これは嘘じゃないと思う)

2つ目は、面接。この4校目、実は高校時代から狙っていた私立学校だったので、採用前提の質問に、前のめりに「できます!」「やります!」みたいな答え方をした。本心なので。それが好印象だった可能性はある。

教訓

今後私立学校志望の人向けに言うことがあるとすれば以下の通り。

1.求人情報を集めるチャンネルをたくさん持つこと。私立は「若干名」の採用が多くて、つまり「いい人がいれば採る」ぐらいの熱量で向こうもやっているので、とにかく数撃つしかない。特に新卒は、転職者組にその「若干名」を持って行かれかねないので、常勤講師・非常勤講師まで視野に入れて、諦めずに数撃ち続けるのが吉。

2.模擬授業を上手くやること。景気が良くなって、「売り手市場」とか言われていた就活だけれど(コロナのせいでそうも言えなくなったが)、基本的に私立学校は「買い手市場」。向こう側に自分を落とすきっかけを与えると普通に落とされる。公立の採用試験みたいに、模擬授業も温かい目で見てくれない。だってそんな必要ないので。だから、「未経験者だけど未経験者なりに頑張る」みたいな情熱は通用しない。私立学校だって、そんな情熱に賭けるくらいなら、着実な技術がある人を採る。

この辺が大切だと思う。